「ぼっこ」は山梨県の方言で、新井裕子さん個人誌の題名です。このたび四年ぶりに第八号が発刊されました。山への思いが綴られ、ひだまりハイキングクラブに関する記載もある「求めよ、さらば開かれん」、ご本人の承諾をいただきここに掲載しました。
求めよ、さらば開かれん
ここ一、二年ウツウツとした気分だったのが、少し方向性が見えてきて何だか嬉 しい。
趣味だが色々なことに手を出してきた。芸術系、運動系、文芸系、語学・・・。それなりに夢中になり何年も取り組んだものもある。続かず、やってましたと口出すも憚かれるものも一つや二つではない。今更ながら四十年の歳月を思う。
一番続いているのはスポーツクラブで、もう二十八年になる。この歳になると効果をつくづく感じる。週に四回ほど、ダンス系と筋トレ。これはもう生活の一部になっている。やっぱり体を動かすのは性に合っているみたいだ。
十年程前、縁があって山の会、ひだまりHC(ハイキングクラブ)に入った。SNSの中高年の山クラブ、ワンダフル会に入ったのも同じ頃だ。
色々な山に連れて行ってもらった。一歩一歩の足の運びが積み重なって得られる大きな達成感。これぞ山登りならではのものだろう。
湧きあがる雲、遠く連なる山々、息を呑むほどの夕陽などなど、そんな雄大な自然の中にいるからこそ味わえる万物に感謝したくなる充足感。そしてそれらを共有してくれる仲間の存在も大きい。
山行はいつも同じメンバーとは限らない。 二つの会に入ってからは驚くほど人間関係が広がり、山以外の楽しみも たくさん味わった。そういう意味では六十歳からのこの十年ほどが一番充実していたかもしれない。
同年齢の松山さんとは、「私たち、いつまで続けられるかしらね、七十歳くらいまでかしら」などと言っていたのだが、七十歳なんてあっという間に来てしまった。
「また、あの人、参加したの?」みたいな顔される前に辞めよう、というのが二人の持論だった。
山をやっている人はみな一様に言う「七十歳の壁」。ご多分にもれず加齢というやつである。体力もそうだが女性は膝や腰を痛めて辞める人が多い。
私の場合、七十歳を目前に罹患、開胸手術を受けてから苦手な登りがよりキツくなった。酸素が薄くなるからだろう、高い山はなお苦しい。
昨夏の焼岳では、最後の鞍部までの急登が苦しくて、もう落伍寸前だった。いよいよ辞め時かなと身に沁みた。それでも意地っ張りだし、へんなプライドもあるから弱音をはくのはシャクで頑張っちゃうのだが。
昨今の登山ブームでひだまりHCもここ数年、新しい人が次々入ってきている。始めたばかりの人でも体力があるからガンガン登ってしまう。
ワンダフル会の方でもしかり、最年長の今や、「オリーブさ あ ーん」とハンドルネームで呼ばれて振り向くワタクシ、どう見てもお局さまだ。
フレンドリーで笑い声が絶えずとても楽しい会なのだが、このイベントに参加したいと思っても、最近は顔ぶれを見て迷いも多い。
なら、何も仲間といかなくてもいいじゃない、一人で行けば? なのだが、それほどの根性もない。登山を始めたのも遅いのだ。私の場合、やっぱり一緒に思いを共有し楽しむ仲間がいてこその山登り、それに息も絶え絶えの登りは、たぶん一人ではもう挫折しちゃうかも。
モヤモヤと模索中のところ、夏前に旅行者主催の道東のロングトレイル歩きを見つけた。この北海道根室ランチウエイのことは新聞記事で知っていた。ランチとは大牧場のこと。北海道標津町~釧路湿原まで、主に牧場の中、70Kmを結ぶロングトレイルだ。
できて十年余り、道の整備や標識の補修などが必要になってきたが、牧場主の高齢化や資金難のため、グラウドファンディングで募金をしているという記事を知り、少額だが寄付したばかりだった。いつかここに行きたいと情報を集めていたので、願ったり
のタイミングだった。
歩いたのは摩周湖の外輪山16Kmほどを7時間。トレイル唯一の山岳コースということだったが、それほど標高差はなく歩きやすい登山道だった。天気にも恵まれ気持ち良かった。一人参加の人が多かった。
自然にはずっと付き合っていきたいし、これからはこういうスタイルが良いなと思ったものだった。
三ツ峠ネットワークの活動には昨年はじめて参加した。これは高山植物の写真家であった息子が発足当時から深く関わっていて、ライフワークとしていた自然保護の会である。
昨年はアツモリソウの季節に一回しか行けなかったが、今年はもう少し参加できそうだ。希少種の成長を妨げている植物の抜き取りや、防鹿用の柵の設置やメンテナンスの他、近在の山の花の観察会などをしている。
登るにしても、周囲の花や木々をじっくり観察したり、撮影したりしながらのゆっくっりペースが私には何より有難い。何よりも保護に関する知識の高さと、植物への関心も並ならぬ人の集まりだ。最初は息子に代わって、せめて作業の一助になりたいと思った参加動機が、最近では自分の楽しみにもなってきた。
そこで知りあった辰野さんは好奇心が旺盛で、自分でも色々旅を企画している。この辰野ツアーに加えていただき十一月末に京都の西山トレイルを歩いてくることになった。来春の佐渡の花観察もぜひ行きたい。長年懇意にしている現地ガイドさんが、
ツアーでは行かないミスミソウの群生地や、海岸の植物観察に案内してくれるという。
辰野さんと知り合えたことは大きい。彼女を通じて、森林インストラクターや自然保護観察員の資格を持つ山岳ガイドさんが個人的にやっているネイチャーガイドツアーの存在も知った。
そのツアーのコンセプトには
「せっかくお金と時間をかけて山や里山へ行く のですから、足元だけを見て黙々と歩くだけではもったいないです。そこで出会う花や木や鳥を観察して、その美しさや不思議さに気づいたり、向こうに見える山や川が何かを調べたり。ゆっくり歩くと少しずつ自然が見えてきます。一度見え始めると、今まで何も見えなかったのが不思議なくらいです。そうして引き出しが増えてくると、
同じコースを他の季節にも来てみたくなります。知的好奇心がどんどん広がっていくのです」とあった。
先日の購読紙に、田部井淳子さんの最後の数年間を扱った記事が出ていた。
「現実を受け入れ『自分がやりたいことは何か』と向き合える人だった」と主治医。亡くなる二週間前に収録したラジオ番組では、「病気になっても、こんな楽しい思いができるんだよ、皆さん何でも楽しいことやらないとね、下向きじゃダメ」と、同じガン患者に呼びかけていたそうだ。
私のガンは術後そろそろ四年になるが、幸い今のところ何ともない。が、ガンに限らず何でもありが人生だ。そんな時には田部井さんのことを思い出そう。